景清廟


2月のお引渡しを前に工事が進んでいます
下北方のCocokara2020様邸。
Cocokara2020様邸の現場から北へ400mほど行った所、
平和台を望む閑静な住宅の一角に、皆さんは
「景清廟」という史跡があるのをご存知ですか?


廟(びょう)とは「霊を安置する堂」のことで、平景清は1185年(文治1年)
3月源平の合戦は長門の壇ノ浦で終焉となった。この時平景清は戦火の中から
脱出して、すきあらば源氏の大将源頼朝を討とうと報復の機を待った。
1196年(建久6年)頼朝が奈良に上洛した時に、景清は頼朝を狙ったが
警護の武士に捕らえられた。景清は流人となって日向国宮崎郡下北方へ
景清は仏門に帰依したが、現世の煩悶が絶えなかった。


「拙者にはこの健眼が迷いであるぞ」と景清は自らの両眼をえぐって投げた。
景清が目をえぐつた地を生目といい、生目神社に祀ってあるそうです。
娘人丸は鎌倉からきて、盲目の父を看護し24歳で病死した、娘に先立たれた
景清は霧島神社参拝の帰途、1214年(健保2年)62歳で没した。


景清廟の門をくぐると廟(びょう)本体の中に
平景清の位牌と愛用の琵琶が祀られています。

追伸:私はずいぶん前からこの史跡?は知っていましたが
景清楼・kagekiyorouと今まで記憶してました。

生目神社~景清廟~平和台と歴史ロマンを楽しんでみませんか?

yano