じいちゃん家の思い出

お年寄りが加害者となる交通事故が連日報道され、高齢の母を持つ私としても「ひとごと」とは思えないでいるsakaです。

先日、その一人暮らしの母の様子を見に行ったところ、古いアルバムを引っ張り出してきて、何やら一人で思い出に耽っているようでした。

私も隣に座り、一緒にアルバムをめくっていたのですが、その中に、祖父が、4才くらいの玉のようにかわいい幼い頃の私😅を抱っこして、満面の笑顔で写っているモノクロ写真がありました。
撮影場所は、「じいちゃん家」の玄関前でした。

ここから、「じいちゃん家」の思い出話になりまして…
(祖父は、先の大戦で兵隊に行き、南方から復員後、米野菜を作り、一ツ瀬川で漁をし、ある時期は出稼ぎ労働者をして母たちを育て上げた人でした。)

古い記憶をたどって再現してみたそんな「じいちゃん家」の間取りがこれです。

今思えば、昭和初期に建てられたであろう古い家。
30坪程度の瓦屋根の平屋。基礎は束石の上に載せただけ?で、開放された床下には、漁具やら何やら置いてあったような…当然、現代のような断熱性能もエアコンも無い家だったのに、不思議と、すごく暑かった、すごく寒かったという記憶がありません。

今の基準で言えば、4LDK。
4人家族用の標準的な部屋割り。30坪という面積はちょっと窮屈かな?と思う人もいるかもしれません。

玄関は広い土間になっており、投げ網の手入れをする作業場兼お客様を迎えるところでした。
奥に入ると、土間の台所と板敷きの食堂、その奥の8畳間がテレビとコタツがある居間、さらにその奥が祖父母の寝室。
玄関土間から直接上がれる8畳の2間続きは、あるときはご近所さんとの宴会の間、普段は母兄妹の部屋になっていたようです。
トイレとお風呂は屋外の離れ。夜は1人でトイレに行けなかった。五右衛門風呂をじいちゃんと沸かすのが楽しかった。

この家で、祖父は、祖母と一緒に子供(男2人、女4人の6人兄弟)を育て上げたのです。
8人がこの家で生活していたことになります。まさに’小さく暮らす’の元祖?ですね。

私が物心ついた頃には、休日にはそれぞれの配偶者と孫達も加わって、
8畳の居間と食堂の板の間に20名近くの大人と子供が集合し、
NHKのど自慢や紅白歌合戦を見たりしていました。
とにかく、賑やかで笑いが絶えない家でした。
私は「じいちゃん家」に連れて行ってもらうのが楽しみで、母に催促して困らせたこともあったようです。

現代の家づくりの方が、家事導線や住宅設備の利便性、快適性など、
いろんな面で「じいちゃん家」よりも優れているのは当然ですが、
幼いころに楽しく過ごした、あの「小っちゃな、じいちゃん家」の
家族親族同士の窮屈感も心地よかったよなあ。
もう一度あの雰囲気を味わってみたいなあと懐かしく思うのでした。